しんどかった受験生活。でも絶対に諦めなかった受験下克上。

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受験下克上

           〜偏差値30台からの早慶合格〜

                                           

   これは、私が地元の塾で学年最下位レベルの成績から、早稲田大学慶應義塾大学の合格を勝ち取った話である。成績が上がらず、第一志望を諦めてしまっている人は是非読んで励みにして欲しい。

  受験時代は失敗、反省、そして押し寄せる不安との闘いだった。それでも、『早稲田に行きたい!』の一心で、早慶合格を勝ち取った。だが、高校に推薦で入り、かつ受験クラスでもなく、模試の偏差値がとてつもなく低かった私にとって、受験生活は決して順風満帆に行くものではなかった。

 これは私が偏差値30台から早稲田大学慶應義塾大学合格を勝ち取った、受験下克上の話である。偏差値が低くても良い大学に入りたい人向けに書かせていただいた。

 中学時代

 私はごく普通の家庭に生まれ育った。

小学校は地元の公立小学校に通い、中学も周りに合わせてそのまま地元の学校へ進学した。足が人より早いくらいしか特技がなく、勉強も全然できなかった。小学校では漢字テストなどでたまに100点は取っていたものの、中学に上がると勉強がどんどん難しくなり、できなくなって行った。さらに勉強自体が全く好きではなかったため、中学の定期試験はいつも50点台から70点台を行ったり来たりしていた。

 

  中学あたりから塾に通い始めたが、塾に通っても全く試験の点数は伸びず、試験前になるとそれを見かねた母親が明け方の5時まで付きっ切りで勉強させる始末だった。(本格的に勉強が嫌いになった笑)

   こんな感じで中学時代は全然勉強ができなかった。

 

勉強ができずに高校の受験勉強はどうしていたかと言うと、勉強が嫌いすぎて受験はしなかった。勉強から逃げていたのだ。そして高校は推薦で行った。『勉強ができなくて推薦で高校に行けるのか?』と思うかもしれないのだが、勉強ができなくてもそれなりに良い成績を取ることができた。変なところに真面目な性格であったからか、提出物はしっかりと出しており、それが功を奏したのか成績自体はオール4くらいを推移した。

   そして、その当時所属していた硬式野球チームで全国大会に出ており、そのことが評価されて私立高校に書類選考(推薦入学みたいなもの)で進学することができた。

高校時代

高校に進学してからは、野球に全力で取り組み、高校球児誰もが夢見る甲子園を目指していた。

毎日必死に遅くまで練習し、辛いことにも耐え、努力してきた。

そして、高1の夏くらいから甲子園を目指す以外に漠然と他の夢も抱いていた。

 

 それは早稲田大学に行くことだ。

 

当時、青木宣親選手(現在メジャーから復帰して東京ヤクルトスワローズでプレーしている)に憧れており『青木選手のいた早稲田大学で野球をプレーしたい』と思っていたのである。

 そんな思いから野球を中心に勉強を頑張っていたが、ある時を境に甲子園に行くことは諦めざるを得なくなる。高校二年生の冬頃に肩を壊してしまい、最後の夏の大会には絶望的な状況になってしまったのだ。(そのまま続けていてもレギュラーを取れたかはわからないが.....笑)

 

  この時点で、残る夢は一つになってしまった。しかし、勉強の方も全く順調に行っておらず、当時通っていた塾で一番下の基礎文法クラスであくせくしていた。授業を受けても全然できるようにならず、どうしていいか全くわからなかった。当然、早稲田に行きたいなどとは恥ずかしくて周りに言えず、言ったとしてもネタとしていじられていた。(あだ名がワセダだった笑)親だけが、何も言わずに応援してくれていた。(一人くらい自分の無謀な夢を応援してくれる人がいることは大切です。)当時を振り返ると、甲子園も無謀だったし、それと同じくらいに早稲田大学に入ることも無謀だったように思う。

  

  模試の成績推移はと言うと、高二の最初に英語で偏差値37を取り、当時の担任に『お前は日本体○大学でもいけないぞ』と言われた。それでも『なんとか見返してやるぞ』と頑張ってきたつもりだったが、高2の冬になっても40台前半を行ったり来たりしていた。

こんな感じの成績のまま、高校3年生の受験期に突入した。

   夏頃になると、周りは付属の大学の推薦入学を決め始め、残りの高校生活を存分に楽しんでいた。

  一方で、私は相変わらず伸びない英語にあくせくしていた。

 

 高三になり、成績はずっと偏差値40台〜50前半(河合のマーク模試)を推移していた。点数でいうと当時80〜100(200点満点中)だった。

 この頃は勉強が本当に苦痛で仕方なかった。(いつもだが)

 経験したことがある人はわかると思うが、偏差値40台というのは辛いもので、模試を解いている感じが全くしない。英語でいうと、なんとなく知っている単語を拾ってなんとなく答えを選ぶ。その作業を模試の80分間続け泣ければならなければならないのは苦痛でしかなかった。模試の結果は全て当然E判定

 

 さらに、解いた後の模試の直しは何から手をつけて良いのかわからず、復習していても自分の知識になっている感じがしなかった。

  普段受けていた授業も、何を言っているか全くわからない状況だったため、どう学力を伸ばして良いのかがわからなかった。日々イライラと不安が募っていった。本当に勉強に対して八方塞がりだった。

 

何より、勉強ができないと同時に希望が見えなかったのがとても辛かった。

 

  塾の先生に『早稲田に受かるには何をしたらいいですか?』と訪ねても、付属の大学に行った方が良いとしか言われなかった。きっと、ここまで頭の悪い生徒を受からせるすべを知らなかったし、合格は不可能だと思っていたのだと思う。(確かに、早慶上理レベルになると塾では元から頭の良い人しか受からない事実はある。)

 

 何もアドバイスが得られず、このままじゃまずいと押し売りの映像教材に飛びついたりしたが、これもあまり良くなかった。

 

  ここから、受験勉強はより迷走して行くことになるのである。

 

 当時の私には、一流の講師の授業を収録して何度も見ることができる映像教材はとても魅力的に見えた。しかし、受けただけでできるような気になってしまう映像教材は正しい勉強方法がわからなかった私にとってはうまく使いこなせなかった。

そもそも、塾、予備校の授業を受ければ成績が伸びると思っていた私は、成績をあげるために大切なことは『必要な知識を効率よく獲得すること』という発想に気づかなかった。

 

基礎知識が入っていないにもかかわらず、よくわからない内容の授業を受け続け、尚且つ

復習もしなかった私は当然何も吸収しないまま、時間だけが過ぎて行った。

 70万円もしたのに特に成績が上がることはなかった....。(お母さんごめん)

 

 どうしようか試行錯誤をしているうちに、参考書でやるしか選択肢がないことにようやく気づいた。映像授業を受けてもダメ、塾の授業を今から取り直すにも、一番下のクラスしか取れない、そんな状況になって、最後にたどり着いた結論だった。

 

 冬休み前に参考書を使って計画的に学習し、その中で復習を定期的かつ戦略的にやらなければならないことに気づき、必死に勉強したが、気づくのに遅すぎた。

 

  そんなこんなで偏差値50代前半のまま受験に突入した私は、受けた早稲田大学の学部に見事全滅した。一応、早稲田大学スポーツ科学部は補欠合格で引っかかったものの、望み叶わず、結局不合格だった。(あとちょっとで、青木選手と同じ学部に行けたのに....。)

 

ああどうしよう....。 もう野球もできないし、受験にも受からなかった。

  内部進学で何とか大学への切符は手にしてはいたものの(提出物を必死で出し、ギリギリの成績で何とか掴んだ)何かが自分の中で引っかかっていた。

大学時代

  春から僕は大学に通っていた。

  一応内部進学はしたのだ。

 

キャンパスは山奥にあり、毎日1時間半ほどかけて家から通った。

のどかな自然に囲まれたキャンパスだけあって、とても空気が綺麗で清々しい雰囲気だった。

  しかし、そんな環境とは裏腹に、受験に失敗したモヤモヤから大学生活を楽しめずにいる自分がいた。

気分を切り替えるために、大学に行くたびに授業を受けずにハイキングコースを探索していたがあまり効果はなかった。

また、車の免許を取ろうと思い、教習所に通った。

それでもなんかやっぱり大学生活ワクワクはしなかった。

 大学に通い始めてから2ヶ月ほど経ってくると、空き時間に大学受験用の参考書を解くようになっていた。

 

『やっぱり早稲田に行きたい』そう思った結果だった。

 

親には何となくそのことを打ち明けてみたが、『それなら内部進学なんてしなければよかったじゃん!』と言われた。

それも当然だ。

今まで払った大学の入学金や授業料が無駄になってしまうし、何より受験勉強せずに大学に通っている時間が勿体無いからだ。

 

  高校三年生の当時、私には内部進学の権利を捨てて、一般受験をする選択肢も与えられていた。

  だが、そもそも内部進学で行く大学のレベルに、浪人して受かる自信が全くなかった為その選択肢は選ばなかったのだ。

 

それでも一度くらい受験して憧れの大学に行こうという気持ちがだんだん強くなってきた私は『勉強していれば親が浪人を認めてくれるだろう』と思い、夏あたりから受験勉強に本格的に取り組んだ。

 

 現役の時に失敗した経験から、予備校や塾などの授業はほとんど取らずに、自習室や図書館などで勉強をしていた。(現役の時に予備校や塾などの欠点に気づいていなかったとしても、朝から登校して夜まで勉強漬けの浪人クラスの環境には到底耐えられなかったが。)

 

 社員からたくさんの授業を進められてとってみるも、復習できているかの確認を全くやってくれない。合格から逆算して計画を立てずに、ただ受かると信じて授業に沿って勉強を進めている。こんな状況では周りと差がつかない。

 

そう思った私は、まずはできていない基礎から参考書でしっかりと固めようと思った。

 

ここで、一度モチベーションの話を少ししたい。

 受験勉強は辛く長いため、私なりのモチベーションの上げかたを少し紹介したいと思う。

 

  早稲田には行きたかったが勉強はやっぱり少し嫌いだった私だったが、親に内緒で春先に受けた模試で偏差値40台をとってしまい、そうは言っていられない状況になった。

 勉強嫌いをなんとか克服できないかを必死で考えた。

 

 大学に内部進学した頃は勉強の計画を立てつつモチベーションを上げることを最優先にした。

どうやってモチベーションを上げたか。

私の場合は

 

とりあえず無理やりモチベーションを上げた。(答えになっていない笑)

 

勿論、早稲田が大好きだし、好きだから頑張ろうとはなった。しかし、早稲田、慶應は当然難しく、ただ『好き』だけではとても太刀打ちできなかった。

 

そこで、無理やりモチベーションを上げる方法を使った。

 

具体的に言うと、憧れの早稲田に自分が通っている姿を想像した。そして、早稲田生ということで女子大の子にチヤホヤされ、周りに驚かれ、親に喜ばれ、地域で噂になり、そしていい会社に就職してポルシェに乗って、幸せな生活を送っている自分を想像していた。(⚠一部、実際の現実とは異なります。)

 

 勉強を自己目的化(勉強自体を好きでやること)できない自分にとって、勉強は手段と捉え、理想の目標(欲)に近づくための手段と捉えるこの方法はとてもしっくりきた。何より、夢に近ずいていることを考えることが楽しかった。

 

そんな感じで(これだけでなく、人それぞれにモチベーションの保ち方はあると思います。笑 欲望をモチベーションに変えると、意外と大きな力が出ます)モチベーションを保ちつつ、受験勉強にどんどんのめり込んで行った。不思議なもので、最初は勉強が嫌いだったにもかかわらず、できるようになってくると少し好きになってきた。(やっぱり、模試の順位で上位に入ると嬉しい。)

 

 

 

勉強の具体的な内容に戻る。

 

 基礎を参考書で固めようと決めた私は、今まで使っていた参考書をとりあえずひたすらやった。

  参考書で勉強するにあたり、計画が大切だということは漠然と考えていたが、基礎から先は具体的にどう行動すれば良いのか確立しておらず、勉強の仕方(独学系)の本を読み漁った。

 どうやったら参考書を効率良く勉強できるかを知りたかった。

 

読んでいるうちに、効率良く勉強するための方法には共通点があり、授業を受けるよりも格段に効率的であることに気がついた。

 

 まず、勉強には(特に文系)効率よく暗記する方法や、正しい復習の仕方があることに気がついた。

 

 そして参考書は自分のペースで何倍の速度でも進められるため、周りのライバルを追い越して受かることができる。この勉強はやはり今の自分にぴったりだと言うことに気づいた。

 

  予備校や塾の授業では国公立コースや早慶コースに入れる自信がなかったため、独学の方が私には向いていた。

 

もし私が予備校の授業に必死について行っても、現在いるコースのレベル(おそらく当時の学力ではMARCHレベルだったと思う)の大学にしか受からないだけでなく、そのコースで受かる受験生の数(1〜3割)に私は入れるとは全く思わなかった。

 

 予備校で受かることは至難の技だと確信した私は一層独学に拍車がかかった。

 

『自分は今の学力からどうやったら受かるのだろう?』

 

 ひたすら、『受かるには』を追求した結果、効率の良い学習計画を立てることができた。

そしてそれを実行することによって早稲田大学慶應義塾大学に無事合格することができた。

 

そこには模試の結果や自頭の良さは全くと言っていいほど関係なかった。(事実、浪人期の11月の模試までE判定を出し続け、母親にイーネ!(Eね!)と冗談半分で言われ続けてきた。)

 

 ただ、11月に模試でE判定を出しつつも緻密に過去問研究をし、今の自分の学力と志望大学のどれ程の差があるのかを研究し、地道かつ柔軟に学習計画を立ててきた結果、下克上的合格をすることができた。

 

私はそんな体験を一人でも多くの受験生にして欲しい。

 

そして、自分が受験生の時にもっと早く知っていればよかったと思う知識やノウハウを広めて行きたいと思う。

 

受験は適切なプランを立て、修正し、モチベーションを保つ。このシンプルな3つを守ることで、良い結果が必ずついてくると思う。

 

一人でも多く志望校に合格してもらいたい。

 

そんな思いで、この記事を書かせていただいた。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

もし『反響や、もっと詳しく知りたい』などの声がありましたら、高3の受験期の話や、浪人期の話を勉強の進め方とともに詳しく書かせて頂きたいと思っています。よろしくお願いします。

 

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             早大家庭教師Selection プランナー 兼早稲田大学法学部 武田 なおや